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ちょこっと最近の雑感。 それとなく週末に集まってパーティーを組んだ、BO2からの古参フレンドさんたちとTDMを楽しんで来た。 見かけると、声をかけたりかけられたり。 コメントなしの無言のフレンド登録なら、数えきれないくらい頂いたけど彼らは違っていた。 コメントを頂いた事は勿論、お互いのエンブレムを讃えたり突っ込んだり。 その場限りの付き合いじゃなく、お互い無理なく付き合えるフレンドさんだと思った。 今はTwitterを始め、多くのソーシャルネットワークをサポートするツールで、どこからでも連絡を取れる。 凄い事だ。 私がまだファミコン以前のハードで遊んでいた頃でさえ、個々人が持つ端末で情報をやり取りするなんて、まだまだ先の未来が舞台の映画でしか知らなかった。 未来が今、現実になっている。 映画と見紛う美麗映像の向こうに生身のプレイヤーがいて、同じ舞台で遊び時間を共有する。 またその様子を記録し、編集して後日楽しむ事もできる。 私の根底にはMSXで遊んでいた頃の自分がいて、今あるその全ての機能が現実で自分は今未来にいるのだと判っていても、いつも圧倒されてしまう。 私は運良く電気屋のお兄ちゃんに貰ったのだけど、昔はどの子どももみんながゲーム機を持っている訳ではなかった。 私の田舎では、ちょっと人よりお年玉の多い子や、ゲームに寛容な家庭の子が持っていた。 そこで、放課後になると『誰々ちゃんちに○○見に行こう』みたいなノリで遊びに出掛けた。 大抵そこの兄弟姉妹のお兄ちゃんらが所有していて、みんなで代わる代わる遊んだ。 ゲームや遊び場や時間をシェアするのは当たり前だった。 いつも好奇心で溢れていた。 ゲームが上手い子がいれば羨ましかったし、自分もそうなりたいと願った。 それが大人になって今は、自宅で楽しめる。 連絡を取り合ってオンライン上で待ち合わせ、同じロビーで遊ぶ。 ボイスチャットなどのコミュニケーション機能も充実して、意思の疎通に不便はない。 だからこそ、共有することに重点を置いて考える様になった。 せっかく一緒に遊んでいるのだから、みんなで楽しく過ごしたい。 その為には必要な事はなんなのだろう、と考える。 そんなことばかりぼんやり考えていたら、それは自分の仕事上や日常でも同じ事だと思った。 誰かの為の何かをしたい、こんな素敵な考えがあるだろうか。 それが今はゲーム上での話ってだけで、立場が変わればお客さんが楽しく過ごせる為には?とか、家族が楽しく過ごせる為には?と変わるだけだ。 そういう意味では、今のハードにシェア機能が充実して来たのは、もの凄く喜ばしい事だと思う。 だからそれを活用してみようと思い、短いクリップ作りからある程度まとまった長さの動画作りに今はシフトしただけだ。 もうゲームはただ時間を潰す娯楽じゃないと思う。 仮想だけれども能動的に体験し共有する時間は現実だし、すぐに忘れ去られる一過性のものでもない。 それが後々どう影響するのかは今は判らないけれど、これらを作ってアップロードする事の意味が後にどう現れるのかは、またちょっと先のお楽しみだ。 加齢と共にゲームを離れてしまう現実の友人たちにとっても。 かつて一緒に遊んでくれたその時の景色を、時々思い出して楽しんでもらえそうな動画を作る事を、ひとまずは目指したい。 …その為には、動画編集をもっと学ばなければならないのと同時に、ある程度は人に見せられる腕前をつけなきゃなあ…とも思う。 それがただダラダラやるだけのゲームから、目的意識をハッキリ持って時間を使う事に変わっただけでも、私に取っては大きな収穫なのだが。 PR
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