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【2017/09/23 00:27 】 |
日誌:祖父からの着信。
日、母方の祖父が亡くなった。
男性の平均寿命より20年も長生きをしたが、その晩年は弱った内臓との戦いだったと思う。
祖父について、私が知っている事は多くない。それでも記憶の中の祖父を辿ってみる。
第二次世界大戦では徴兵され北方へ派兵されたと聞いている。傷病兵として帰還し終戦を迎えた。
その後、黒部ダムやその周辺整備の仕事、トンネルの削岩工事など、家族の為に危険な仕事に多く携わって来た。
比較的口数は少なかったが、休暇中は山や海の漁に竹籠編みなど、物作りも含めて多趣味な人だと記憶している。

厳しく躾ける一面もあり、孫としては幼い頃ちょっと怖いと思った事もあった。
そんな祖父からは山菜の調理や包丁の研ぎ方など、生活に役立つ実用的なことを多く学び、楽しかった漁の話も沢山聞かせて貰った。
山間に家を持つ祖父は昔、バイクやバスを使って海へ出かけ、潜水をして貴重で高価な魚介類を沢山持ち帰っていたそうだ。なので、今や高価な伊勢海老などの食材は当たり前に食べていた、と母からも聞いた。
車の運転も大好きな様子で、昨年までは自分で運転して街へ出掛け、食べたいもの着たいものは自分で調達する快活なお年寄りだった。病院へも自分で通院していた。

そんな祖父だから亡くなる数日前まで、安静にしていなければならない症状なのに自分の事は自分でしようと動き回るので、看護師さんたちが慌てて病室へ駆け込んで来る事が何度もあった。
身体は弱っても、じいちゃん自身は少しも弱っていない。そう感じた。
実際、世話をして下さったあるスタッフの方も、祖父の様子を“足がむくんで痛いはずなのに、自分で何でもしようと、とても頑張ってるのよ”と褒めており、とても気遣って下さっていた。

腎臓が弱り、衰弱から透析が出来なくなって約一ヶ月後、祖父の戦いは終わった。


10年少し前だったろうか。
祖父から、こんな話を聞いた。
祖父の弟が亡くなった日のこと。その日の体調の変化の話だった。
血圧を記録していた祖父はある日、特に心当たりがないにも関わらず2.3日高血圧が続いた。いつもと様子が違う記録に戸惑っていると、弟の訃報が届く。
祖父はそれを、“虫の知らせかのう?”と表現した。血の繋がりがあるから、何かの変化が自分にも起きたのではないかと推測したそうだ。
世の中には、科学では解明されていない多くの事が存在する。祖父の話は一見不可解だが、私にはするりと入って来た。
危険なトンネルの仕事で二人は崩落事故に遭い、祖父は弟を命懸けで救助した経緯がある。
何らかの目に見えない繋がりが二人にあったとしても、おかしくない気がしていた。

祖父が亡くなる1日前。
実はまだ高血圧に悩まされる年齢でもない私自身が、原因の思い当たらない不慮の高血圧で体調を崩し、仕事を早退している。
ふと祖父の話を思い出し、そして心配になった。
奇しくも、旧暦では15日。3年振りの皆既月食がニュース番組の冒頭を賑わせていた頃だ。
普段より遥かに高い血圧に悩まされ、何も出来ずに横になっていた。月食どころではなかった。
もしこれが祖父の言う“虫の知らせ”なら、祖父もきっと苦しんでいるに違いない。
そうして横になっていると深夜、従兄弟から電話で連絡があった。祖父の事だった。
心配なので明日病院に行って来るといった内容の話をした。

翌朝、祖父の訃報が届いた。
悲しかったが、何故か全く驚かなかった。祖父は苦しみから解放されたのだ、と思った。


通夜は、その日の夕方から祖父の自宅で行われた。
地域の人たちやお世話になった人、忙しくて普段会えない親族も皆集まり賑やかだった。
弔問客が増える前に線香を上げてじいちゃんに会っておけと叔母に勧められたが、自分のタイミングで行くからとその時私は断っている。
ちょっと思うところがあった。
そこにいない相手に向かって線香を上げたり手を合わせることに、違和感を感じていた。
仏間の棺桶の中には祖父が安置されているのだが、そこではない違うところに祖父がいる様な気がしていたからだ。
祖父は生前、時代劇などの番組が好きだった様子で、大きなテレビを好んで購入して居間で楽しんでいた。その居間に居る気がしていた。気のせいかも知れない。幼い頃からの私の記憶の残滓が、そんな気持ちにさせているのだと気にしない事にしていた。
気にしないことにしていたのだが、近親者が弔問に訪れている時は“祖父の気配”は廊下にあった気がしていた。
当の本人は仏間におらず、来訪者を出迎えているもしくは傍観している気がしていた。
不思議な気持ちだった。
祖母は近親者が訪れる度に祖父の話をして泣くのだが、祖父はその傍にいる。

高血圧で実は酷い吐き気があり体調が優れなかった私は、そんな体調だから“気のせいだ”と思うことにしていた。
裏方の手伝いをした後、体調を崩して明日の葬式に出られないような事があってはいけないと、他の親族より先に帰宅した。
小雨の雨上がりで、台風接近の影響か10月にしては蒸し暑く、濃い霧が辺りを包んでいた。


翌日午後から、葬祭場で祖父の葬式が執り行われた。
20年くらい前に父方の祖母が亡くなり、その時の葬式の記憶が蘇ったので、今の葬式ってプログラムが組まれて司会進行まであるのかと少し驚いていた。
メイン会場に入り親族の席に座っても、祭壇には“祖父の気配”はなかった。
会場は司会者のアナウンスがあるまで、参列者の話し声がざわめきとなってほんの少しだけ賑やかだった。
葬式が始まる直前の数分。
親族席から『う、う、うう、う、』と断続的に、息苦しそうなうめき声が聞こえていた。
式の前から誰かが泣いているのだろうか??
周囲を見渡したが嗚咽を漏らすような風もなく、誰なのかどこから声がしているのか全く判らない。
息苦しそうなうめき声が続いている間ずっと気になりチラチラと探したが、開式までに終ぞ声の主は判らなかった。

開式。
読経の後、7人の孫を代表しての従兄弟の挨拶が始まると、私のスマートフォンのバイブレーションが突然作動し、どんな操作をしても止まらなくなった。
仕事上の連絡があれば確認だけでもと、マナーモードにしてスーツのジャケットのポケットに入れていたのだった。
いくらマナーモードとは言え、静かな会場で別れの言葉を読み上げる声以外の音はとても目立つ。
スマートフォンが壊れたのだと思い、その動作を止めようと何をしても、音量とアラームのアイコンが交互に表示され、その音量を下げる操作をしても勝手に最大になった。
式の妨げや迷惑になってはいけないと、慌てて席を外した。
僅かに30分程度の式で親族が席を外すなど、こんな無礼はまずいだろうと思ったが、とにかく『ブーブー』と鳴り止まないバイブレーションを止めなければ。

私は小走りにトイレへ向かった。
ここなら例え故障で大きな音が鳴ったとしても、音が漏れないだろうと考えたからだ。
バイブレーションが作動し続けるスマートフォンは相変わらずで、どんな操作も受け付けなかった。スリープ画面にして消灯していても『ブーブー』と振動音を鳴らし続けている。
式の真っ最中で誰もいない筈のトイレで、ふと、何故か1人ではない気がした。
一瞬迷ったが、誰に聞かれる訳でもないだろうし、と思って声に出した。

『じいちゃん?…じいちゃん、来てるん?』

スマートフォンのバイブレーションはピタっと止まった。
ここから自分が感じた事を、正確に文章に起こせる自信はない。
元通りに操作を受け付けるようになったスマートフォンを、どうして良いか判らず私はそれを洗面所に置いてジッ…と眺めた。
ホーム画面がいつも通り表示されているだけだ。
もうバイブレーションは作動しない。
怖くはなかったが、自分が考えていることとは違う何かで頭の中が満たされて行く感じだった。
映画を観ている時に登場人物たちに感情移入して、物語に入り込んでいる様な感覚や錯覚、これなら体験したことのある人は多いだろうと思う。その状態に近い。
映画に感情移入して、その作品の雰囲気を感じている時の様な、イメージだけをぼんやり受け取っている感覚。
もし、もしこれが身体を失った祖父が何かを伝えて来ているのだとしたら、そのイメージからどんな言葉を読み取ればいいのだろう。
じいちゃんは何を伝えようとしている?
どうすればそれを読み取れるのか。耳を澄ませばよいのか、目を凝らせばよいのか。
しかし、驚く私の頭の中に満たされていた言葉は1つだった。

『ありがとう』

感謝のイメージでいっぱいだった。
色んな人への感謝のようだった。
それ以外のイメージも混ざっていて少し複雑だったが、感謝のイメージだけはすぐに理解出来た。
今まさにお別れの言葉を読み上げている従兄弟たちへの感謝、親族や参列者への感謝、人生で関わって来た全ての人への感謝。
たくさんの複雑なイメージが、濃霧の向こう側にある風景に目を凝らしているような感じで、見え隠れしている。酷い頭痛がし始めた。

状況がよく飲み込めず、私は少し焦っていた。焦りつつも、既にその言葉はイメージから読み取れていたはずなのだが、これを誰にどうやって伝えればいい??と混乱した。
祈祷をしているお坊さんや特別な能力がある霊媒師でもない私が、そんな事をすれば大ヒンショクだ。
悲しくはなかったが、涙が止まらなかった。
その状態が治まるまで、私はしばらくトイレから出られなかった。
しばらくすると、その祖父の気配が遠のいて行った。私は親族席へと戻る。酷く身体が重い。

30分程の式だったと思うのだが、とても長く感じた。
勝手に入って来るイメージなのか、自分が考えていることなのか判らなくなり、強い疲労感を感じていた。
イメージによると、(私の勝手な想像と解釈してくれて構わないのだが)祖父は自分の席がないことにちょっと困っている様子だった。
確かに、祭壇はあるが故人の為の席はない。

式が終わり、親族が参列者を見送ると、別室へ移動して会食が行われた。
血圧も下がらず辛かった私は、少し頂いてから帰ろうと決めていた。
自分の席を決めかねていると、またスマートフォンのバイブレーションが作動して止まらなくなった。
トイレにいた時のように祖父に話しかけてみることが出来ない。会場の端に移動して、「じいちゃん?」と口の中で小さく話しかけてみた。
すると、目の前には足の悪い祖母が歩いて来るところだった。
私は祖母の斜向いの席についた。
食事を始める直前まで、何度か断続的にブーブーと鳴り操作を受け付けなかった。かと言って通常の着信がある訳でもない、アプリの通知機能でもない。
膝の上でスマートフォンの作動音を止めようと操作をしていたが、ふと顔を上げると、近しい人に話しかけられていた祖母が、また泣き出したところだった。
祖母は昔から、泣き虫だ。
もしまた、今また頭の中にあるイメージが祖父から受け取っているものだとしたら、祖父はどうやら祖母が寂しがって度々泣いているのを心配しているようだった。
姿は見えないけれど、傍に祖父が居ることを祖母にいつか知らせた方がいいだろうか。

食事は甘い味付けで美味しかったのだが、頭の中に満タンなイメージと高血圧の吐き気と頭痛で、その場にいるのが辛くなった。
仕事にも行かなければ、叔母にその旨を伝えて会場を後にした。
頭痛と吐き気のせいか、祖父の気配は感じられなかった。
ヨロヨロと駐車場を横断し、自分の車の運転席に沈み込む。ジャケットから取り出したいつも通りのスマートフォンに向かって『じいちゃん?』と呼びかけてみたが、もうバイブレーションは作動しなかった。


短時間仕事をした後、祖父母宅に立ち寄った。
親族が集まっていて賑やかだったし、いつもの“じいちゃんがいる家の雰囲気”だった。

姿は見えないけどきっといるのだろうと思い、線香を上げると桃のジュースを供えた。
昨日と同様に、仏間にはいないのだけど。
亡くなる数日前。
腎臓がすっかり弱っていた祖父は、食事制限を強いられていた為に好きな果物を食べられなくなっていた。飲み物の量や種類も厳しく制限されていた。
見舞いに行くと“ジュースを飲みたいので買って来て欲しい”と言われたのだが、ジュースの類いは“カリウム摂取から心臓が止まるかもしれないから”と看護師に止められ、飲ませて上げられなかった。
水やお茶には誤嚥防止のとろみが付けられて飲みにくかったからか、自分が飲みたいものと違っていたからか、それらをストローで飲みながらも祖父は少し苛立っている様子に見えた。
そんな祖父の姿を思い出して、好きなだけ好きな物を飲んで欲しいと思い、ジュースを持参したのだ。
ただ、祖父が桃を好きだったかは覚えていないのだけど。

私の方こそ、祖父にはとても感謝の気持ちでいっぱいだった。
祖父に会えて良かった。
これまで大した恩返しは出来なかったし私にできることは少ないけれど、これはきっと私にしか出来ないことだろう。
だからせめてこれからは祖母が寂しがらないように、祖父のことを伝えられたらと思う。




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【2014/10/12 22:40 】 | 日誌 | 有り難いご意見(0)
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