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【2025/07/08 20:22 】 |
コミック:永遠の0(3)粗筋


・第十六話 妻のために
伊藤との面会を終えた健太郎は、宿泊先から母へ掛けた電話の中で『私の本当の父が母を愛していたのか』との問いが母から浮かぶ。子どもたちその物語が伝えられなかった事の意味を、伝えない方が良かったからなのかとの疑問も生じる。健太郎は祖父の名誉の為、また自分自身の為に再び伊藤の元を訪れる。
(祖父は)『愛していると言っていましたか!?』の問いに伊藤は『妻のために死にたくない、それは私達の世代では愛していると同じでしょう』と断言した。
祖父の調査を後悔していた健太郎は、始めて良かったと思い始める。
“平和の原点は、人の痛みがわかる心を持つ事。その痛みはどんな痛烈なものなのか!?本当にわかる事ができるのか!?”祖父に試されている気がした。

・第十七話 高山隆司
松山から戻った健太郎は、姉の紹介で新聞記者の高山と会う。高山は、特攻=カミカゼアタックの総括記事を企画し、自爆テロは何故起こるのか!?それを知る為にカミカゼアタックを今一度違う視点で洗い直すと言う。
特攻隊員を狂信的な愛国主義者と言い張る高山に、健太郎は反論する。
何故祖父は海軍に入ったのか、知りたくなる健太郎は調査に熱が入る。

・第十八話 井崎源次郎
高山と会った週末、姉と共に元海軍飛行兵曹長・井崎源次郎を尋ねた健太郎。井崎は、都内の大学病院に入院中だった。重い病床に正座をして健太郎たちを待っていた井崎は、宮部との回想を語るにあたり孫も是非同席させたいと言う。
井崎が宮部と会ったのは、ミッドウェー海戦の一ヶ月後。昭和十七年七月半ば、井崎はひとつめの命を救われる。

・第十九話 死の篩
ポートモレスビー攻略。世界を相手に戦っていた日本。毎日の様に繰り返される空戦では、学び損なえば死ぬ。それぞれ列機の2番3番機として出撃した宮部と井崎。宮部の度を超えた周囲への警戒は、列機から臆病と嘲笑される。経由するオーエンスタンレー山脈で、宮部は列機の誰よりも早く敵機を発見しこれを撃墜。井崎は、宮部に命を救われる。

・第二十話 生き延びろ
“臆病者”と嘲笑する隊員たちの中で、ラバウルで一二を争う空戦の達人・西澤廣義一飛曹は、宮部の操縦姿勢を見習えと高く評価する。当時は若く手柄を逸る井崎は、宮部が小隊長になった後も命を救われる。
『敵を墜とすより、敵に墜とされない方がずっと大事だ!生き残る事が出来れば、また機会はある。』
生き延びる事を第一に考えろ。

・第二十一話 宮部の「秘密」
『とにかく生き延びる事を考えろ』、宮部の言葉が井崎にずっしりと響く。
言葉だけではなく宮部に教えられた事が沢山あると井崎は言う、それは日々の鍛錬を忘れず空戦を生き延びて、娘に会う事。娘に会うまでは、なんとしても死ねない。
生死は運が決めると思い戦っていた井崎は宮部の生き様に共感し、生き残る事が何よりも大事なのだと思うようになった。そんな2人に、生き残る事さえ困難な戦いが始まる。

・第二十二話 五百六十浬
南太平洋に不沈空母として睨みをきかせるべく設営が進んでいたガダルカナル島への攻撃の報を受け、敵輸送船団攻撃を伝達された宮部たち。彼らのいるラバウルから現地へは五百六十浬(約1000km)、宮部は『無理だ…こんな距離では戦えない』と言い上官の鉄拳制裁を喰らう。約1000km、それは零式戦闘機の航続距離を考えると、空戦は難しい距離だった。

・第二十三話 七時間
ガダルカナル攻撃の初日メンバーに宮部と井崎の名前はない。意気揚々と出撃する精鋭たちを見送り、宮部は冷静にこの戦いを分析していた。巡航速度で3時間、帰りの燃料を考えると戦闘可能時間は10分少々。行きは心配ないが、目標物のない洋上を地図とコンパスだけで飛んでいるのだ、方位を見失って無駄な航路を取れば帰還も危うい。
元空母搭乗員だった宮部らしい言葉に、井崎はこの戦いが如何に困難か実感し始める。
翌日、宮部小隊は出撃。敵艦二隻、輸送船九隻を撃沈。往復七時間を操縦席で過ごし帰還するも、体力を激しく損耗した井崎の脳裏を『大変な戦いになる』と言った宮部の言葉が埋め尽くして行く。






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【2014/10/14 23:31 】 | コミック | 有り難いご意見(0)
次世代ハードの到来か | ALIENWARE Alpha
新時代の幕開け

ALIENWARE Alphaは、ALIENWAREが初めて開発した独自の次世代コンソールゲーム機で、コントローラーだけで操作可能なオリジナルユーザーインターフェイ スを介し、世界最大のオンラインゲームプラットフォーム「STEAM」と直結。AAAタイトルからインディーゲームまで、500タイトルを超える世界中の ゲームをすぐにダウンロードして自宅のテレビで楽しむことができる、これまでにないまったく新しいスタイルのゲーム機。

(商品説明より抜粋)


こんな感じ。


PCゲームをしたいけど、PCに馴染みがないという人にはオススメかも。
XBOXのコントローラーが同梱つれており、従来のゲーム機の感覚で操作できる模様。
また、Windows8.1の載ったデスクトップPCとしても使用可能。
用途により、他のエイリアンウェアとどれにするか検討されたし。

…て事は、家のテレビでゴートシミュレーターが遊べるという事か(笑)

関連記事:[TGS 2014]ALIENWAREの“新型ゲーム機”「Alpha」とは何なのか? バラして中身をチェックしてみた




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【2014/10/13 18:05 】 | その他ゲーム | 有り難いご意見(0)
日誌:祖父からの着信。
日、母方の祖父が亡くなった。
男性の平均寿命より20年も長生きをしたが、その晩年は弱った内臓との戦いだったと思う。
祖父について、私が知っている事は多くない。それでも記憶の中の祖父を辿ってみる。
第二次世界大戦では徴兵され北方へ派兵されたと聞いている。傷病兵として帰還し終戦を迎えた。
その後、黒部ダムやその周辺整備の仕事、トンネルの削岩工事など、家族の為に危険な仕事に多く携わって来た。
比較的口数は少なかったが、休暇中は山や海の漁に竹籠編みなど、物作りも含めて多趣味な人だと記憶している。

厳しく躾ける一面もあり、孫としては幼い頃ちょっと怖いと思った事もあった。
そんな祖父からは山菜の調理や包丁の研ぎ方など、生活に役立つ実用的なことを多く学び、楽しかった漁の話も沢山聞かせて貰った。
山間に家を持つ祖父は昔、バイクやバスを使って海へ出かけ、潜水をして貴重で高価な魚介類を沢山持ち帰っていたそうだ。なので、今や高価な伊勢海老などの食材は当たり前に食べていた、と母からも聞いた。
車の運転も大好きな様子で、昨年までは自分で運転して街へ出掛け、食べたいもの着たいものは自分で調達する快活なお年寄りだった。病院へも自分で通院していた。

そんな祖父だから亡くなる数日前まで、安静にしていなければならない症状なのに自分の事は自分でしようと動き回るので、看護師さんたちが慌てて病室へ駆け込んで来る事が何度もあった。
身体は弱っても、じいちゃん自身は少しも弱っていない。そう感じた。
実際、世話をして下さったあるスタッフの方も、祖父の様子を“足がむくんで痛いはずなのに、自分で何でもしようと、とても頑張ってるのよ”と褒めており、とても気遣って下さっていた。

腎臓が弱り、衰弱から透析が出来なくなって約一ヶ月後、祖父の戦いは終わった。


10年少し前だったろうか。
祖父から、こんな話を聞いた。
祖父の弟が亡くなった日のこと。その日の体調の変化の話だった。
血圧を記録していた祖父はある日、特に心当たりがないにも関わらず2.3日高血圧が続いた。いつもと様子が違う記録に戸惑っていると、弟の訃報が届く。
祖父はそれを、“虫の知らせかのう?”と表現した。血の繋がりがあるから、何かの変化が自分にも起きたのではないかと推測したそうだ。
世の中には、科学では解明されていない多くの事が存在する。祖父の話は一見不可解だが、私にはするりと入って来た。
危険なトンネルの仕事で二人は崩落事故に遭い、祖父は弟を命懸けで救助した経緯がある。
何らかの目に見えない繋がりが二人にあったとしても、おかしくない気がしていた。

祖父が亡くなる1日前。
実はまだ高血圧に悩まされる年齢でもない私自身が、原因の思い当たらない不慮の高血圧で体調を崩し、仕事を早退している。
ふと祖父の話を思い出し、そして心配になった。
奇しくも、旧暦では15日。3年振りの皆既月食がニュース番組の冒頭を賑わせていた頃だ。
普段より遥かに高い血圧に悩まされ、何も出来ずに横になっていた。月食どころではなかった。
もしこれが祖父の言う“虫の知らせ”なら、祖父もきっと苦しんでいるに違いない。
そうして横になっていると深夜、従兄弟から電話で連絡があった。祖父の事だった。
心配なので明日病院に行って来るといった内容の話をした。

翌朝、祖父の訃報が届いた。
悲しかったが、何故か全く驚かなかった。祖父は苦しみから解放されたのだ、と思った。


通夜は、その日の夕方から祖父の自宅で行われた。
地域の人たちやお世話になった人、忙しくて普段会えない親族も皆集まり賑やかだった。
弔問客が増える前に線香を上げてじいちゃんに会っておけと叔母に勧められたが、自分のタイミングで行くからとその時私は断っている。
ちょっと思うところがあった。
そこにいない相手に向かって線香を上げたり手を合わせることに、違和感を感じていた。
仏間の棺桶の中には祖父が安置されているのだが、そこではない違うところに祖父がいる様な気がしていたからだ。
祖父は生前、時代劇などの番組が好きだった様子で、大きなテレビを好んで購入して居間で楽しんでいた。その居間に居る気がしていた。気のせいかも知れない。幼い頃からの私の記憶の残滓が、そんな気持ちにさせているのだと気にしない事にしていた。
気にしないことにしていたのだが、近親者が弔問に訪れている時は“祖父の気配”は廊下にあった気がしていた。
当の本人は仏間におらず、来訪者を出迎えているもしくは傍観している気がしていた。
不思議な気持ちだった。
祖母は近親者が訪れる度に祖父の話をして泣くのだが、祖父はその傍にいる。

高血圧で実は酷い吐き気があり体調が優れなかった私は、そんな体調だから“気のせいだ”と思うことにしていた。
裏方の手伝いをした後、体調を崩して明日の葬式に出られないような事があってはいけないと、他の親族より先に帰宅した。
小雨の雨上がりで、台風接近の影響か10月にしては蒸し暑く、濃い霧が辺りを包んでいた。


翌日午後から、葬祭場で祖父の葬式が執り行われた。
20年くらい前に父方の祖母が亡くなり、その時の葬式の記憶が蘇ったので、今の葬式ってプログラムが組まれて司会進行まであるのかと少し驚いていた。
メイン会場に入り親族の席に座っても、祭壇には“祖父の気配”はなかった。
会場は司会者のアナウンスがあるまで、参列者の話し声がざわめきとなってほんの少しだけ賑やかだった。
葬式が始まる直前の数分。
親族席から『う、う、うう、う、』と断続的に、息苦しそうなうめき声が聞こえていた。
式の前から誰かが泣いているのだろうか??
周囲を見渡したが嗚咽を漏らすような風もなく、誰なのかどこから声がしているのか全く判らない。
息苦しそうなうめき声が続いている間ずっと気になりチラチラと探したが、開式までに終ぞ声の主は判らなかった。

開式。
読経の後、7人の孫を代表しての従兄弟の挨拶が始まると、私のスマートフォンのバイブレーションが突然作動し、どんな操作をしても止まらなくなった。
仕事上の連絡があれば確認だけでもと、マナーモードにしてスーツのジャケットのポケットに入れていたのだった。
いくらマナーモードとは言え、静かな会場で別れの言葉を読み上げる声以外の音はとても目立つ。
スマートフォンが壊れたのだと思い、その動作を止めようと何をしても、音量とアラームのアイコンが交互に表示され、その音量を下げる操作をしても勝手に最大になった。
式の妨げや迷惑になってはいけないと、慌てて席を外した。
僅かに30分程度の式で親族が席を外すなど、こんな無礼はまずいだろうと思ったが、とにかく『ブーブー』と鳴り止まないバイブレーションを止めなければ。

私は小走りにトイレへ向かった。
ここなら例え故障で大きな音が鳴ったとしても、音が漏れないだろうと考えたからだ。
バイブレーションが作動し続けるスマートフォンは相変わらずで、どんな操作も受け付けなかった。スリープ画面にして消灯していても『ブーブー』と振動音を鳴らし続けている。
式の真っ最中で誰もいない筈のトイレで、ふと、何故か1人ではない気がした。
一瞬迷ったが、誰に聞かれる訳でもないだろうし、と思って声に出した。

『じいちゃん?…じいちゃん、来てるん?』

スマートフォンのバイブレーションはピタっと止まった。
ここから自分が感じた事を、正確に文章に起こせる自信はない。
元通りに操作を受け付けるようになったスマートフォンを、どうして良いか判らず私はそれを洗面所に置いてジッ…と眺めた。
ホーム画面がいつも通り表示されているだけだ。
もうバイブレーションは作動しない。
怖くはなかったが、自分が考えていることとは違う何かで頭の中が満たされて行く感じだった。
映画を観ている時に登場人物たちに感情移入して、物語に入り込んでいる様な感覚や錯覚、これなら体験したことのある人は多いだろうと思う。その状態に近い。
映画に感情移入して、その作品の雰囲気を感じている時の様な、イメージだけをぼんやり受け取っている感覚。
もし、もしこれが身体を失った祖父が何かを伝えて来ているのだとしたら、そのイメージからどんな言葉を読み取ればいいのだろう。
じいちゃんは何を伝えようとしている?
どうすればそれを読み取れるのか。耳を澄ませばよいのか、目を凝らせばよいのか。
しかし、驚く私の頭の中に満たされていた言葉は1つだった。

『ありがとう』

感謝のイメージでいっぱいだった。
色んな人への感謝のようだった。
それ以外のイメージも混ざっていて少し複雑だったが、感謝のイメージだけはすぐに理解出来た。
今まさにお別れの言葉を読み上げている従兄弟たちへの感謝、親族や参列者への感謝、人生で関わって来た全ての人への感謝。
たくさんの複雑なイメージが、濃霧の向こう側にある風景に目を凝らしているような感じで、見え隠れしている。酷い頭痛がし始めた。

状況がよく飲み込めず、私は少し焦っていた。焦りつつも、既にその言葉はイメージから読み取れていたはずなのだが、これを誰にどうやって伝えればいい??と混乱した。
祈祷をしているお坊さんや特別な能力がある霊媒師でもない私が、そんな事をすれば大ヒンショクだ。
悲しくはなかったが、涙が止まらなかった。
その状態が治まるまで、私はしばらくトイレから出られなかった。
しばらくすると、その祖父の気配が遠のいて行った。私は親族席へと戻る。酷く身体が重い。

30分程の式だったと思うのだが、とても長く感じた。
勝手に入って来るイメージなのか、自分が考えていることなのか判らなくなり、強い疲労感を感じていた。
イメージによると、(私の勝手な想像と解釈してくれて構わないのだが)祖父は自分の席がないことにちょっと困っている様子だった。
確かに、祭壇はあるが故人の為の席はない。

式が終わり、親族が参列者を見送ると、別室へ移動して会食が行われた。
血圧も下がらず辛かった私は、少し頂いてから帰ろうと決めていた。
自分の席を決めかねていると、またスマートフォンのバイブレーションが作動して止まらなくなった。
トイレにいた時のように祖父に話しかけてみることが出来ない。会場の端に移動して、「じいちゃん?」と口の中で小さく話しかけてみた。
すると、目の前には足の悪い祖母が歩いて来るところだった。
私は祖母の斜向いの席についた。
食事を始める直前まで、何度か断続的にブーブーと鳴り操作を受け付けなかった。かと言って通常の着信がある訳でもない、アプリの通知機能でもない。
膝の上でスマートフォンの作動音を止めようと操作をしていたが、ふと顔を上げると、近しい人に話しかけられていた祖母が、また泣き出したところだった。
祖母は昔から、泣き虫だ。
もしまた、今また頭の中にあるイメージが祖父から受け取っているものだとしたら、祖父はどうやら祖母が寂しがって度々泣いているのを心配しているようだった。
姿は見えないけれど、傍に祖父が居ることを祖母にいつか知らせた方がいいだろうか。

食事は甘い味付けで美味しかったのだが、頭の中に満タンなイメージと高血圧の吐き気と頭痛で、その場にいるのが辛くなった。
仕事にも行かなければ、叔母にその旨を伝えて会場を後にした。
頭痛と吐き気のせいか、祖父の気配は感じられなかった。
ヨロヨロと駐車場を横断し、自分の車の運転席に沈み込む。ジャケットから取り出したいつも通りのスマートフォンに向かって『じいちゃん?』と呼びかけてみたが、もうバイブレーションは作動しなかった。


短時間仕事をした後、祖父母宅に立ち寄った。
親族が集まっていて賑やかだったし、いつもの“じいちゃんがいる家の雰囲気”だった。

姿は見えないけどきっといるのだろうと思い、線香を上げると桃のジュースを供えた。
昨日と同様に、仏間にはいないのだけど。
亡くなる数日前。
腎臓がすっかり弱っていた祖父は、食事制限を強いられていた為に好きな果物を食べられなくなっていた。飲み物の量や種類も厳しく制限されていた。
見舞いに行くと“ジュースを飲みたいので買って来て欲しい”と言われたのだが、ジュースの類いは“カリウム摂取から心臓が止まるかもしれないから”と看護師に止められ、飲ませて上げられなかった。
水やお茶には誤嚥防止のとろみが付けられて飲みにくかったからか、自分が飲みたいものと違っていたからか、それらをストローで飲みながらも祖父は少し苛立っている様子に見えた。
そんな祖父の姿を思い出して、好きなだけ好きな物を飲んで欲しいと思い、ジュースを持参したのだ。
ただ、祖父が桃を好きだったかは覚えていないのだけど。

私の方こそ、祖父にはとても感謝の気持ちでいっぱいだった。
祖父に会えて良かった。
これまで大した恩返しは出来なかったし私にできることは少ないけれど、これはきっと私にしか出来ないことだろう。
だからせめてこれからは祖母が寂しがらないように、祖父のことを伝えられたらと思う。




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【2014/10/12 22:40 】 | 日誌 | 有り難いご意見(0)
日誌:ばあちゃんの教え。
書はよいものです。

前述の『ばあちゃんの教え』を忘れず、じわ〜っと継続する事20数年。
ふと、こんなことを思い出した。
『本なら何でもイイ訳じゃないと思うよ、ばあちゃん!!』と思った出来事。

ばあちゃんちが老朽化で、小ぢんまりと新築された頃。
家が新しくなったもの珍しさから、以前よりも少し頻繁にばあちゃんちへ足を運んでいた気がする。
そんなある日。
私から見たら従兄弟なのだが、かなーり年の離れたそのおにいさんから、大量の本が届いたから読めそうなのがあったら持って行きなさい、とばあちゃんは言う。
当時、小学生だった私では到底抱えられないサイズの大きな段ボール箱が仏間に置かれていた。当然ばあちゃんだって抱えられなかっただろう、宅急便か何かで運び込まれてそのままの状態だった。

今でも覚えている、また新築の綺麗て明るい仏間に置かれた大きな段ボール箱を開けた瞬間のことを。
累々と横たわる、見慣れない青年コミックの山

ばあちゃん…!!

とりあえず覚えているのは、

湘南爆走族。


ゴルゴ13。
…そうだよ、1巻は『ビックセイフ作戦』だったよね。


ドラネコロック。
懐かしいなあ。と言うか、コミカルな暴走族漫画などに大いに偏ったラインナップ。他にも沢山あったのだけど、思い出せるのはこの辺りまで。

これが幸か不幸か、“女の子はこんな本読まないのよ、ばあちゃん”みたいな先入観は一切なく、あるのは見た事のない本への好奇心と興味だけ。
ただ、小学生低学年女児に与えて良かった書籍かどうか?と言われると、保護者の思惑を逸脱する場所にある本ばかりだが、私は喜んで片っ端から読み漁った。

ばあちゃんにはゴルゴ13や湘南爆走族がどんな内容か理解していなかったらしく、
『知っちょる本か?』
『ううん、知らない。でも面白そう』

と私が読んでいると、ちょっと嬉しそうだった。

でも、ゴルゴ13を面白そうって感じる小学生って。

…査察シースルーってタイトル、凄く覚えてた!!懐かしい!

当時、洋画好きの母が海外ドラマなどをVHSで見せてくれていたので、それらのコミカライズだくらいにしか認識していなかったのだと思う。だから、青年コミックにも然程抵抗がなかったのかもしれない。
ここで、ホームを間違えて乗ってしまった電車の如く、この後、少年誌や男の子向けコンテンツが大好きになってしまったのは、想像に難くない。

弊害と言えば、学校で同性のお友だちと趣味の面で共通の話題がかなり少なくなってしまったことくらいだったと記憶している。
特に困らなかったし、よしとしよう。

ばあちゃん!!従兄弟のにいちゃん!、ありがとう!!

追記。以来、湘爆は今でも好きです。

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【2014/10/06 16:37 】 | 日誌 | 有り難いご意見(0)
悩むわー。

…この形!www
でも、性能とレビューを信じて、注文してみっか!!

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【2014/07/18 20:49 】 | 日誌 | 有り難いご意見(0)
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